自分のために戦うことは、大事な人のために戦うということだ
こんにちは。
28歳無職です。
自分はこれまでヵ国に行ったことがあります。
アメリカ、韓国、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、カンボジア
こうして並べてみると大した数ではないですね。
小さいころから洋画が好きで、その影響を大きく受けました。
憧れるのは"可愛い女の子"ではなく"かっこいい女性"。
何か理不尽なことがあれば立ち向かうべきだし、自分の意見をはっきり主張すべき。
そして今も、海外で生活したいと強く思っています。
韓国に長期滞在して、国を変えただけでは人生全てが好転するわけではないと分かりました。
それでも自分は海外に行きたい。
なぜなら、日本が合わないから。
日本人はよく言うと慎ましい。悪く言うと従順です。
例えば明らかに労基法に違反している会社に入社してしまったとして、何も言わずに働き続ける人もいれば、通報もせずに退社する人もいます。
明らかに生活水準を下げる低賃金。大学出たのに初任給20万円を越さないなんて地方ではザラ。
こんなのはおかしい。誰もが思っているのに誰も何も言わないのです。
今、就職活動をしています。
経験者募集なのに明らかに給与が低い会社がとても多いです。
欧米だったら多分、こんなところでは皆働きません。でも日本人は働いちゃうんですよね。
自分は、最低限のことを求めているだけなのに。
残業はあまりなくて、時間外労働なんてなくて、給与は最低限の文化的生活が出来る程度で、求められる能力やスキルに応じてちゃんと与えられて。
フランスだかイタリアだかの誰かが言いました。
私達がこうして平日の昼間にワインを飲んでいられるのは、戦ってきたからだと。
日本人は自分たちのためには戦いません。でも偉い人のためになら戦うのでしょう。
或いは、自分の子供が怪我したり死んでしまったら戦います。
自分のために戦うことは、大事な人のために戦うことと同義です。
自分が傷ついたら悲しんでくれる人がいるでしょう。
また、自分の子供が将来傷つかないためにも、私達は戦うべきです。
今も貧困で苦しんでる人々がたくさんいるのに、負債だけを残すオリンピックが開催されています。
政治家たちの横領は表に出ても中々裁かれません。
保証が手薄い非正規雇用が増える一方で、その利益を得ている上級国民がいます。
まあこんなこと自分が言ったところで日本は変わらないですよね。
だから海外に永住したいんです。
自分の子供を日本で育てたくないなと思ってしまう、悲しい現実です。
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幸せな人生
こんにちは。
28歳無職です。
『東京女子図鑑』というドラマを観ました。
田舎で生まれ育った女の子が都会でのキラキラした生活を夢見て就職と同時に上京し、東京でどう生きたか、半生を描いた作品です。
身分不相応の憧れを抱いてるところが自分の人生にそっくりだなと。
ただ自分と違ったのは、彼女は努力をし実績を積んだ点です。
「井の中の蛙でいるのも悪くはないかな」
彼女が20年後に地元に戻りつぶやいた言葉です。
田舎では手に入らないものなんてない彼女も、東京に行けば更なる上がいる。
結局比べてしまって勝手に不幸になっちゃうんですよね。
その気持ち、とてもよく分かる。
自分は自分、でいればいい話だけど、周りを見たらキラキラしてて、
勝手に不幸を感じてしまう。不幸になってる原因は全て自分。
食べ物に困ってるわけでもないし、借金があるわけでもない、友達がいないわけじゃないし、住む場所がないわけでもない。
でも幸せというのは心が感じるものなので、自分ではどうしようもありません。
自分が求めているのはなんなのか。
どんな人生だったら、笑いながら死ねるのか。
そんなことを考えながら、今日も現実逃避しています。
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妥協した人生か、待ち続ける人生か。
こんにちは。
28歳無職です。
ある友達の話。
20代前半に大好きな人と出来婚。
外聞は若干悪いのかもしれないけど、その相手とは結婚したかったから結果オーライ。
数年後の今、価値観の違いや相手の態度が嫌で離婚を考えている。
ある友達の話。
地方に住む年下の恋人と遠距離恋愛の末に結婚、恋人の地元に移住。
週3~4日も恋人が仕事後に趣味で外出してしまうので家に一人、知り合いもいない。
一人でいる時間、虚しく感じる。
この二人の話を聞いて、大好きな人と結婚したとしても価値観の違いや気遣いのなさで離婚したくなるんだなと思いました。
自分も28歳で一般的には適齢期と呼ばれる年齢。
焦りはないけど、なんとなく結婚したいというか、パートナーが欲しいなと思ったりします。
恋人がいないからまず恋愛をしないといけないけど、「価値観が似てる人がいいな」とか、「倫理観がちゃんとしてる人がいい」「日本では中々話す人がいない政治や教育について話し合える人がいい」とか考えると、好きな人も中々できないです。
妥協も大事だよ、とよく言われるけど。
価値観は妥協したくないなあって頑なな自分がいます。
自分の好きな人が、自分と全く違う価値観や倫理観だったら、多分傷ついちゃうんですよね。
それが怖いし、時間が勿体ないなとも思うから、やっぱり自分はそこを妥協したくないです。
妥協して人といる人生を選ぶか、
妥協せずに本当に分かり合える人を待ち続ける人生を選ぶか。
どっちが正しいですか?
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"頑張り"の種類
こんにちは。
28歳無職です。
最近、転職活動をしながら考えたことがあります。
"頑張り"の種類について。
個人的には、2種類あると感じます。
1つは、社会から評価される"頑張り"です。
良い大学に行って良い企業に勤めたり。
会社を興して事業を成功させたり。
何かの才能で世間に名前を知らしめたり。
ちなみに自分は、どれにも当てはまってないです。
大学は行ったので、きっとどこかのパラレルワールドでは、普通に会社に勤めて普通に生活してる自分もいるんじゃないかなあと思います。
正直に言うと、この選択肢を取らなかった自分を後悔する瞬間があります。
もう1つは、自分の人生を豊かにする"頑張り"です。
趣味を楽しんだり、ペットをお迎えしたり、家庭を築いたり。
自分が5年前に取ったのはこの選択肢でした。
5年前に自己分析をしてたら、本当にこのまま就職して後悔しないのかなと考えるようになりました。
自分は小学生の頃から海外での生活に憧れていました。
将来の夢は何度も変わったけど、その憧れだけはずっと変わらなかったんです。
それで、海外留学するという選択肢を取りました。
資金がなかったからそのために住み込みで働いて、合間に語学の勉強して、まあ何だかんだで実行できました。
でもそれで得たのは中途半端な語学力と人生経験。
今、後悔が全くないと言ったら嘘になります。
今まで頑張ってなかったわけじゃないんだけどなあ。
なんでこんな社会の底辺にいるんだろう。社会から評価されないんだろう。
当たり前です、社会に評価される為の"頑張り"じゃなかったから。
私の今までの"頑張り"は、自分の人生を豊かにするためのものでした。
社会で評価されたいなら、社会で評価される"頑張り"方をしないと駄目だったんだって、28歳にして気づきました。
皆さんはどうですか。今までの"頑張り"は、社会から評価される為の"頑張り"ですか?
それとも人生を豊かにする為の"頑張り"ですか?
ところで自分は、開き直りました。
自分がしてきたのは、人生を豊かにする"頑張り"だと。
そして実際に、人生は豊かになったのだと。
多くの人に出会い、多くの土地に足を運び、多くの価値観を知り、世界は広いということを知りました。
外国語だけど、大好きな歌手の歌を聴いて感動するようになりました。
だから、生きることに息苦しさが無くなったわけではありません。
でも少なくとも、今まで見た景色や聞いた言葉や出会った人の大切さは、走馬灯に映るでしょう。
まあ、楽しく生きる為にはある程度の収入が必要で、
ある程度の収入を得るには社会的評価が必要です。
自分はこれから社会から評価される為に頑張らないといけないんでしょう。
面倒くさいなあ。
人生とは面倒くさいものですね。
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28歳無職、人生は立て直せるか?
こんにちは。28歳無職です。
自分は今まで、派遣とかアルバイトをしながら海外を行ったり来たりして生活していました。
コロナ禍の今。身動きを取れずにいます。
自分を見つめ直し、
自分の人生を見つめ直し、
一年間すでに苦しみました。
馬鹿らしいと思うでしょう。自分も思います。
でも、これからどう生きれば良いのか。
何が正解なのか。何が幸せなのか。
分からないんです。
生きることって面倒くさ過ぎて、死んだ方がマシなんじゃないかとも思ってしまいます。
1週間の半分以上は、人生終わらせたいなって思いながら生きています。
でも死ぬ勇気はないので結局生きるしかないんです。
どうせ生きるなら、せめて死にたいとか思わずに生きたいじゃないですか。
朝起きて、朝が来たことを喜びながら生きたいじゃないですか。
行動しながらも挫折し、何が正しいのか考え続けながら、それでも自分の道を見つけたいのです。
人生を立て直したいです。
好きな場所で、世界の美しさを感じながら生きたいです。ただそれだけの望みです。
できたら自分の心の動きを共有できる誰かが見つかればなとも思います。
28歳無職、人生は立て直せるか?
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